座右の銘にもなる!「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味と使い方!

実るほど頭を垂れる稲穂かなの意味とは ビジネス用語

仕事ができて何事にも謙虚な社員に上司が「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とつぶやいているのを聞いた経験はありませんか?

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ」を意味します。

ビジネスシーンだけではなく、様々なところで使用される言葉でもあります。

座右の銘にしている人が多いため、社会人として意味や使い方を理解しておくべき言葉です。

今回はそんな「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味や使い方について詳しく解説します。

1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味は「人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うこと」

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味は以下です。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

読み:みのるほどこうべをたれるいなほかな

意味:稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ

稲は成長するにつれて、実が付く部分が重みで下がります。

重みがあればあるほど頭(実が付く部分)が下がるため、下がっている稲ほど立派だと称され、重みのない稲は立派ではないと称されました。

このことから「知識や徳がついた人間ほど、頭の位置が低い謙虚な人間になる」という意味になります。

また「頭を垂れる」には「相手を敬う」という意味があり、この言葉自体にも「立派な人間ほど相手を敬うことができ、謙虚である」という表現があてはまるのです。

つまり「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは「人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものである」という意味になります。

1-1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の由来は詠人(よみびと)不明のことわざから

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の由来は現在、詠人(よみびと)不明の故事成語としてのことわざとして扱われています。

そのため、いつの時代に誰が詠んだのかは不明なのです。

推測としては、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が5・7・5の俳句調に詠まれていることから、俳句発生以降に生まれた言葉ではないかと言われています。

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  • 2.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の使い方と例文

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「知識や徳を学び、人間として謙虚で立派な人」に対して使われます。

    この言葉は、当てはまる人には最上級の誉め言葉として使われるため、言われて嬉しくない人はいないでしょう。

    ちなみに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を使った例文は以下です。

    <例文>

    • あの人ほど謙虚な人はいない、まさに実るほど頭を垂れる稲穂かなが似合う
    • 実るほど頭を垂れる稲穂かなという言葉が似合う人になるには、もっと得を学ぶべきである

    2-1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は座右の銘として使える!

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は座右の銘として使われることがあるのです。

    座右の銘とは「常にその人の心に留めておき、自分の励ましや戒めとする言葉」のことを指し、その人の人生の指針になります。

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を座右の銘にしている人は、常に知識と徳を学ぶことを忘れずに、謙虚な姿勢を保ち続けているのです。

    早稲田大学が目指す人としての生き方

    早稲田大学では歴史と伝統の中で「志はあくまで高く、頭はあくまで低く」という言葉を受け継ぎていき、早稲田人としての生き方を作り出してきました。

    この言葉は 大学の三大教旨である「教育・研究・社会貢献」にも反映されており、大学を卒業し社会に出ても、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を根づかせた生き方になるように目指しています。

    松下幸之助氏も「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信条としていた

    創設から多くの人気製品を産み出しパナソニックを大企業へと成長させた、経営の神こと松下幸之助(まつしたこうのすけ)氏も、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信条としていました。

    また、松下氏は商売だけでなく人生の指針としても「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を大事にしていたことは有名です。

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のように謙虚な姿勢で先を見据えることが、成功できた理由だったのでしょう。

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  • 3.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類語を3つ紹介

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」にはいくつかの類語があり、今回は3つの類語を紹介します。

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類語は以下です。

    1. 米は実が入れば俯(うつむ)く
    2. 和光同塵(わこうどうじん)
    3. 大智如愚(だいちじょぐ)

    それぞれを詳しく見ていきましょう。

    類語① 「米は実が入れば俯(うつむ)く」

    「米は実が入れば俯く」は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類語として扱われます。

    「米は実が入れば俯く」の意味は以下です。

    米は実が入れば俯く

    読み:こめはみがはいればうつむく

    意味:人は地位が上がり、権力などが加わると高慢で尊大になりがちだが、稲はみのるほどうつむいて謙譲の態度となること

    「米」は人のことを指し、「実」は知識や徳のことを指します。

    つまり、「米に身が入ること」は「人に知識や徳が身につくこと」という解釈になり、徳を積み続けた人ほど控えめの態度となるという意味になるのです。

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」も同じように「人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になる」という意味になるため、類語として扱われます。

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を使った例文は以下です。

    <例文>

    • 米は身が入れば俯くというよ、謙虚でありつづけるべきだ
    • 君のいまの言動は、米は実が入れば俯くとは正反対だ
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  • 類語② 「和光同塵(わこうどうじん)」

    「和光同塵」も「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と似た四字熟語として使われます。

    「和光同塵」の意味は以下です。

    和光同塵

    読み:わこうどうじん

    意味:自分の才能や徳を隠して、世の中に交じって慎み深く、謙虚に暮らすという意味

    「和光同塵」とは、知識や徳がある人がそれらを隠し、謙虚に暮らす様子を表しています。

    「和光」とは光を和らげるように「才能と知恵を隠すこと」を指し、「同塵」の「塵」は世俗のちりをあらわしており、「俗世間に合わせること」を指しているのです。

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」も「知識や徳のある人は謙虚である」という意味を持っているため2つの言葉は似ているのです。

    したがって「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と「和光同塵」は類語として扱われます。

    「和光同塵」を使った例文は以下です。

    <例文>

    • 和光同塵という言葉は、どんな人でも心にとどめておくべき素晴らしい意味を持つ
    • 和光同塵とは、まさに我が社の部長を表す言葉である

    類語③ 「大智如愚(だいちじょぐ)」

    「大智如愚」も「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類語として扱われます。

    「大智如愚」の意味は以下です。

    大智如愚

    読み:だいちじょぐ

    意味:すぐれて賢い人は、一目見たくらいでは愚かな人に見えるが、本当の賢者は知識や才能を見せびらかさないということ

    「大智如愚」は「大智は愚の如し」とも読むことができます。

    「大智」というのは「知識や徳に優れたもの」を指し、「優れた知恵を持つものは一見愚かに見える」という意味合いになります。

    しかし、愚かに見えるのは、その謙虚さゆえに知識をひけらかしていないためです。

    つまり「大智如愚」とは「知識や徳はあるけれども、愚かに見えてしまうほど謙虚な人」のことを指しており「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が想起させる人物像と似ています。

    以上のことから「大智如愚」は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類語として扱われます。

    「大智如愚」を使った例文は以下です。

    <例文>

    • あの人は大智如愚が似合う人だ、好感が持てる
    • あなたはまだ徳を学ぶべきである、大智如愚のような人とは程遠いであろう
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  • 4.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の英語表現と中国語表現

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」にはそれぞれ英語表現と中国語表現があります。

    それぞれの代表的な表現は以下です。

    <英語表現>

    The more noble, the more humble(高貴であればあるほど謙虚だ)

    <中国語表現>

    知者不言、言者不知(知るものは言わず、言うものは知らず)

    それぞれ見ていきましょう。

    4-1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の英語表現は「The more noble, the more humble」

    「noble」には「立派で、高貴で」という意味があり、「humble」には「謙虚」という意味があります。

    「more」はそのあと単語を強調する役割をもつ単語ですから「より高貴なものはより謙虚である」という解釈ができます。

    「高貴」とは知識や徳を積んだ立派な人を指すことから、この英語表現になりました。

    「The more noble, the more humble」をは以下の例文のように使います。

    例文:He looks good with the word whether is The more noble, the more humble.
      (高貴であるほど謙虚だという言葉は彼に似合う)

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  • 4-2.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の中国語表現は「知者不言、言者不知」

    中国語表現では「知者不言(知るものは言わず)」が知識や徳を持ち謙虚な人を指し、「言者不知(言うものは知らず)」が何も知らない愚かな人を指しています。

    こ2つの言葉をあえて並べて比較することで知識や徳がありかつ謙虚な人の偉大さを表現しているのです。

    ビジネスシーンでも中国人との会議でよく使われる言葉であるため覚えておくと良いでしょう。

    まとめ

    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ」を意味します。

    ビジネス上でも使われますし、この言葉を座右の銘としている人は多いです。

    意味や使い方を学ぶと同時に、人生の座右の銘にしてみるのも良いでしょう。

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