最終更新日:2020/06/05
「釈迦に説法」とは「その道のことを知り尽くしている人に、それを教しえようとする愚かさのたとえ」という意味です。
ビジネスシーンではよく使われる言葉ですが、意味や正しい使い方を知らない人が多いかもしれませんね。
特に社員やスタッフの教育担当の方などは、自分より詳しい人に仕事を教える場面では「あなたには釈迦に説法かもしれませんが」などと使うことがあるため、使えておくべき言葉でもあります。
今回はそんな「釈迦に説法」の意味、使い方、類語、英語表現、語源などを詳しく紹介します。
1.「釈迦に説法」の意味
知り尽くしている人に、そのことを説く愚かさのたとえ
釈迦に説法
読み:しゃかにせっぽう
意味:知り尽くしている人に、そのことを説く愚かさのたとえ
「釈迦に説法」は、ある分野に知識が飛んでいる人に対して物事を教えることは愚かであるという意味で用いられます。
たとえば、通信機器の製造方法に詳しい10年目のベテランの社員が中途採用として入社してきたとき、配属2年目の社員が製造方法について教えることになったとします。
明らかに10年目の社員の方が製造に関しての知識が多いため、2年目の社員が教えること自体が愚かに見えますよね。
こんな風に「釈迦に説法」とは教える側の愚かな行為を意味しているのです。
「釈迦に説法」の語源
「釈迦に説法」の語源は、仏教の教えを説いた「釈迦」本人に仏教の教えを説く「説法」を行なった人の愚かな行動が語源となっています。
「釈迦」とは現代でも信仰している人が多い、仏教の教えを説いた人物です。
仏教を教えを説いているわけですから、当然仏教のすべてを知っています。
そんな人に仏教を教える行為は、勘違いも甚だしいことこの上ありませんよね。
このことから「ある分野を知り尽くしている人に、その分野を説くことは愚かである」という意味になったのです。
2.「釈迦に説法」の2つの使い方と例文
「釈迦に説法」という言葉には2つの使い方があります。それは以下です。
- 愚かな行為をしようとしている人に向けて使うとき
- 自分のことをへりくだる表現をするとき
それぞれ使い方のニュアンスが違うため、しっかりと使い分けを理解しておきましょう。
2-1.愚かな行為をしようとしている人に向けて使うとき
「釈迦の説法」は、誰かが愚かな行為をしようとしているとき、もしくはすでにしてしまっているときに使われます。
冒頭でも述べたような、経歴がまだ不明な中途採用の人に、あなたが仕事を教えていたとき、上司に「釈迦に説法だぞ」と言われたことがあったとします。
それはあなたの教えている行為自体が「愚かな行為」ということです。
ただ、このシチュエーションで使われる「釈迦に説法」は言われる側はあまり気持ちの良いものではありません。
もしかしたら、上司の命令で仕事をやむなく教えている可能性もありますし、中途採用の人の経歴をあなたが把握していない場合も考えられますよね。
このように、「釈迦に説法」は「誰かが愚かな行為をしようとしているとき」に使う言葉なので、使う時は相手の状況をしっかり見極めたうえで使うようにしましょう。
2-2.自分のことをへりくだる表現をするとき
もう1つの使い方として「自分のことをへりくだる表現をするとき」があります。
こちらは、すでに相手がその分野のプロであることを知っている場合に使われることが多いです。
説明を始める前に「こんな説明をあなたにするのは釈迦に説法なのですが」と前置きをおくことで、自分をへりくだった表現になります。
2-3.「釈迦に説法」を使った例文
「釈迦に説法」を使った例文は以下の通りです。
3.「釈迦に説法」の類語
ここからは「釈迦に説法」の類語についてみていきましょう。ここでは以下の3つを紹介します、
- 河童に水練
- 猿に木登り
- 孔子に悟道
それぞれ解説します。
類語①「河童に水練」
「河童に水練」の意味は以下の通りです。
河童に水練
読み:かっぱにすいれん
意味:見当違いで無駄なことのたとえ
河童は泳ぎが得意な生物と言われています。
その河童に泳ぎを教えることは、愚かなことで教えるだけ無駄だという由来から、見当違いで無駄なことという意味になりました。
「釈迦に説法」と同じように教える事が愚かであるという点で類語として扱われるのです。
「河童に水練」の例文は以下です。
<例文>
- あの子は水泳で県1位をとった経験がある、あなたが教えるなんて河童に水練だ
- 私が教えるなんて河童に水練でしたね、すみません
類語②「猿に木登り」
「猿に木登り」の意味は以下の通りです。
猿に木登り
読み:さるにきのぼり
意味:そのことをよく知っている者に教え込もうとするような、無駄な行為のたとえ
「猿に木登り」は木登りが得意な猿に木登りを教えている愚かな状況が由来です。
こちらも 「釈迦に説法」や「河童に水練」と同様に、ある分野に長けているものに教えることは愚かな行為であることから類語として使えます。
「猿に木登り」の使い方は以下の通りです。
<例文>
- あなたに教えても猿に木登りのようなものだ
- 君よりはるかに上だ、いわゆる猿に木登りというやつだ
- あの子の教えるなんて、猿に木登りになりかねない
類語③「孔子に悟道」
「孔子に悟道」の意味は以下の通りです。
孔子に悟道
読み:こうしにごどう
意味:知り尽くしているものに教えることは愚かであるということのたとえ
「孔子に悟道」は「釈迦に説法、孔子に悟道」のように続けて使われることが多い言葉です。
続けて使われることからも「孔子に悟道」も同じ意味でることがわかりますね。
ちなみに「孔子に悟道」の使い方は以下です。
<例文>
- 釈迦に説法、孔子に悟道で恐縮でございますが、いましばらくお付き合いくださいませ
- あの人に指導するななんて釈迦に説法、孔子に悟道だと思う
【補足】「馬の耳に念仏」や「猫に小判」は類語ではない
日常生活やことわざの中でも有名な「馬の耳に念仏」や「猫に小判」は一見「釈迦に説法」の類語ように間違われがちですが、実は意味がまったく違います。
2つの言葉の意味は以下です。
馬の耳に念仏
読み:うまのみみにねんぶつ
意味:いくら言い聞かせてもその価値がわからないさま
猫に小判
読み:ねこにこばん
意味:価値のわからない者に高価なものを与えても無駄であること
「釈迦に説法」も、もうすでに知識のある人に教えることは愚かで、行為自体は無駄であるという解釈は間違っていません。
しかし、「馬の耳に念仏」や「猫に小判」は知識のある人に教えているわけではないのです。
もう少し、2つにどんな違いがあるか具体的述べていきます。
「釈迦に説法」は「その手のプロに何かを教えるなんて愚か」という「愚かさ」を表現する言葉です。
一方「猫に小判」「馬の耳に念仏」は「価値のわからないものに、何かをしても価値がわからないままで無駄である」と「無駄」を表現しています。
どちらかというと、その価値がわからない相手のことをバカにする表現ですね。
このように、どちらも無駄である言葉ではありますが、教えたり与えたりする対象が違うため、意味使い方も違うのです。
ニュアンスが似ていても意味が違うので、使うときは注意をしましょう。
4.「釈迦に説法」の英語表現
「釈迦に説法」の英語表現は以下です。
- preach to the choir(聖歌隊に説教)
- Don’t teach fishes to swim(魚に泳ぎを教えるな)
- A sow to teach Minervia(ミネルヴァに教える豚)
- Don’t try to teach your grandmother to suck eggs(祖母に卵の扱い方を教えてはならない)
日本語で直訳すると、教えることが愚かであるという意味が伝わってきますね。
ビジネス上でこのような言葉はほとんど使われることはありませんが、1つの知識として覚えておくと良いでしょう。
まとめ
「釈迦に説法」とは「知り尽くしている人に、そのことを説く愚かさのたとえ」という意味があります。
使い方は2通りあり、相手に対して忠告をする場合は状況をしっかり把握したうえで使うことがポイントです。
「馬の耳に念仏」や「猫に小判」などのニュアンスは似ていても意味が全く違う言葉もあるため、違いをしっかり理解しておきましょう。